プロフィール

初めまして、私は『みんなのみやぎ』の運営をしている、齋藤陽一です!

普段はホームページの制作・運営のコーチ業と、オウンドメディア運営をしています。

この『みんなのみやぎ』も、宮城が大好きで、宮城をもっと盛り上げて、豊かな場所になって欲しいと願う私が、自分のスキルを活かして作った、地域メディアです。

そんな私が、どうしてこんな地域メディアを運営しようと思ったのか?その理由の説明も兼ねて、自己紹介させていただきますね♪

東京在住歴37年

私は東京出身で、2017年に宮城県仙台市に移住しました。

それまでは、37年間ずっと東京に住んでいました。実家は都庁から徒歩数分の新宿の中心です。

新宿が実家ですなんて言うと、みんな驚きます。そんな所に人が住んでるなんて、想像もつかないようですね。でも、新宿にだって、昔はたくさんの住人がいたんですよ(^^;

新宿の高層ビルを見上げながら、18年間暮らし、その後は就職して、墨田区や江東区などで19年生活しました。

今では新宿も、年々開発が進んで、すっかり住人が減ってしまいました。私が通っていた小中学校も今はありません。

計37年間も東京で暮らした、都会しか知らない人間でした。でも、30代半ばになって頃から、いつか地方に移住したいと夢見るようになっていました。

仕事で体を壊す

私は社会人になってから、ずっとシステムエンジニアとして働いてきました。30歳を過ぎた頃から、社会的に重要なシステムの仕事をするようになり、仕事のストレスがどんどん増していきました。

1秒たりともシステムを止めてはいけないプレッシャーに加えて、低予算・短期間でのシステム開発を要求される仕事を続ける毎日でした。

そんなストレスの多い日々が続き、やがて、めまいや耳鳴り、片頭痛などストレスが原因の体調不良に悩まされるようになりました。また、生まれつきの心臓の病気も悪化してしまい、遂に仕事を続けられる状態ではなくなってしまったのです。

そして、仕事を休職することになり、結局、そのまま会社を辞めることになりました。

サラリーマンを辞めて仙台移住

将来の生活はとっても不安でした。

でも、サラリーマン時代に始めたブログでは、少し収入が得られるようになっていました。ブログだったら、住む場所は関係無く、どこでもでもできます。

それに、住んでいる家は、自分の持ち家でした。それを貸してしまえば、家賃収入にすることができます。

色々と分析してみると、東京に住み続けるよりも、地方に移住してしまった方が、生活が安定することが分かったんです。

そこで、移住先を探し始めました。北は札幌から、南は福岡まで、色んな場所を見て回りました。

そして、心に残ったのは宮城県を始めとした東北地方でした。

震災で大きな傷を負いながらも、助け合って未来に希望をもって生活している人たちが、とても輝いて見えました。自分もこの土地で、人生の新たなステージに進みたいなと思ったんです。

そして、2017年6月に会社を辞めて、宮城県仙台市に移住しました。

毎日を雲のように

今はシステムエンジニアだった頃のITの知識と、ブログ運営の知識を活かして、個人事業主向けにホームページの制作と、運営コーチをしています。

そして、個人的にもこのようなWebメディアを使って、情報発信をしています。

宮城に移住したことで、ストレスで失われた健康が回復して、新しい仕事も作ることができました。仙台が私の人生の悩みや問題を解決してくれたんです。

仕事の転勤でも、親戚がいるわけでもないのに、移住してきた私たちを、みんな不思議に思います。

でも、宮城には移住したくなる理由があるんです。人の人生に気付きや癒しを与えてくれる場所なんです。

私自身も、まだまだ宮城のことをよく分かっていません。もっと、楽しいことをしたいですし、面白い場所に行ってみたいです。

たくさんの魅力的な人と知り合いたいです。

私自身、素敵だなと思う宮城の魅力をたくさん発信していこうと思います。

そんな、宮城の魅力をこの『みんなのみやぎ』でお伝えできればと思っています。

拙い文章ですが、ぜひ、ご覧になってください!